ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

今日のドイツ語学習 21.8.2018

Langsam gesprochene Nachrichten (DW)を聴く

聞き慣れない音が私の耳を襲う。

「アテーン」

テクストを読んで確認し、辞書を引く。

納得。

これに似たことを毎日繰り返している。地名に限らず。どれだけの階段を登ってきたのか、これからどれだけ残っているのか。

 

 

『まいにちドイツ語』を聴く

接続法2式。これがこの入門編でもしばしば登場する。文法用語としては形式張っていて超然的ですらあるが、日常的にはよく使われていると分かる。

  • 断定をせず、控えめに、丁寧に伝える
  • 仮定や非現実的な内容を述べる*1

こういう表現が主に可能になる。

 

もしも、これが無かったら、物事を断定することしか出来ない融通の効かない言語になってしまっていたかもしれない。また「もしも〜なら」のような現実を超えた、一旦現状を括弧に入れるような思考パターンは生まれにくかったのかもしれない。ドイツ語話者の中の想像性や創造性にどのように影響を与えているのか。

 

言語の限界が世界の限界を意味する、というウィトゲンシュタイン的な論を思い浮かべる。

*1:英文法でも「もし僕が鳥だったら、空を飛べるのに」(鳥ではないので飛べない)っていうのがありましたよね