ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

今日のドイツ語学習 20.8.2018

『まいにちドイツ語』を聴く

第55課。また今日も話が進む。

「話」!

改めて思うのは一つながりのストーリーとしてこの番組・コースが進行しているということである。主人公がいて脇役がいて、移動したり他の人物と出会ったりしながら展開していく。

ストーリーの良いところは

  • エピソードなので記憶に残りやすい
  • 話の続きが気になるという意味の娯楽性を帯びている

このようなところだろうか。逆に良くないところとしては

  • 途中から見たり聞いたりする人が置いてけぼりになる*1
  • そもそも物語を好まない人もいそう*2

こういうものがあるかもしれない。

ともかく、始まりがあって終わりがあるのがストーリーだ。一度その流れに乗ると、途中でやめにくくなる心理が働く。

さて、ドイツ語学習には終わりがあるのだろうか? そして、人が学ぶということに終わりはあるのだろうか?*3

 

テクストを読んでいて

長文の教材に取り組んでいる。分からない単語に出くわしても、すぐに辞書を開かないというのを続けている。後でじっくり調べることにしている。

分からない単語、それにも実は段階があると気づく。

  1. 品詞も、そのセンテンスの中での役割も分からない単語
  2. 品詞だけ、あるいはその役割だけはとりあえずわかる単語(フレーズ)
  3. 大体の意味は分かるが、正確には分からない単語

1.2.に関して、

幸いドイツ語の名詞は文頭だけでなく文中でも大文字で書くルールになっている。名詞は名詞だとわかるが、それ以外が肝心。

  • 修飾、条件、仮定、形容、比喩
  • 事実や主張、見解、結論

一体それが何なのかに注目していきたい。

 

3.について、

例えば、「essen 食べる」という動詞があるとする。それを元にすれば、その文章の目的語は「(何らかの)食べ物」だと類推することができる。

これは極めて単純化した例。実際には様々な要素が入り込むことになる。

*1:途中から入って、楽しめるストーリーも無くはないかもしれないが

*2:覚えるべきポイントが箇条書きになっていさえすればよい、という人

*3:この話題になると、毎回、Man lernt nie aus. 学びに終わり無し、を思い出す