ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

『まいにちドイツ語』を聴いて/ことば、前から飾るか? 後から飾るか?(関係代名詞)

関係代名詞による修飾について扱われていました。

本文ではなく、練習問題の箇所から引用してみます。

 Ich möchte die roten Äpfel essen, die wie weihnachtliche Glaskugeln an den Bäumen hängen.

「私は、クリスマスのガラス玉のように木にぶらさがっている(それらの)赤いリンゴを食べたい」

 1格の関係代名詞が使われています。

例えば、ドイツ語の語順を出来るだけ損なわずに日本語にするならば、

「私は、それらの赤いリンゴを食べたい……それらはクリスマスのガラス玉のように木にぶらさがっているのだが……」

このようになって、倒置法的な風合いが出ます。というか、私たちが英語なりドイツ語を読むということは、どこか倒置法的な感覚を味わうことになりますよね。なりませんか? そこに面白みを感じたりもします。

言っている意味内容は同じだが

  • それが示される順序が違う。
  • 絵の立ち上がり方が違う。

このあたりの「イメージの創られ方」の違いをこそ味わいたい。英語・ドイツ語においては、結論や実体有りきの文化なのだなという感触。日本語は奥ゆかしいというか、結論を最後まで言わないというか、そういう所がある。

この件に関しては、ドイツ語も一つの文において、文の後半に重みを持たせるルールがあるので、実はその点においては日本的、日本語的だとも言えそうです。英語には無い、分離動詞、枠構造。

 

ことば、前から飾るか? 後から飾るか?

ドイツ語も英語も後から飾ることは多いですが、日本語は基本的には前から修飾します。例えば、こんな感じ。

  • その時僕がボーっと見ていた白くて大きい綿菓子のような雲

「雲」のことをあらゆる修飾語でもって飾っています。実体は雲であり、それ以外は言語上の飾りに過ぎない。このフレーズに限っては、一番最後まで聞かないとあるいは読まないと、何のことを言っているのか分からない。私たち日本人はこれに慣れきっているので違和感はないのですが、英語やドイツ語話者はじれったい思いをするのかもしれない。