ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

『まいにちドイツ語』(応用編)を聴いて/萩-津和野

今日と明日、木金は応用編。引用します。

Die Keramik aus Hagi ist zwar sehr schlicht, aber auch sehr elegant.

「萩の陶器は確かにとても地味だけれど、でも大変上品である」

  • zwar A, aber B 「確かにAではあるが、しかしB」

相関的接続詞と呼ばれている。「こう来たら、こう」という呼応がある。読解や聴き取りにおいて、ある程度の予測が可能で役に立つ、とのこと。なるほどね。

日本語でもそうですが
  • 肯定
  • 否定
  • 対立
  • 順接
  • 逆接
  • 共存
  • 並列
  • 補足

そういった文脈のうねりや構造をそれぞれのテキストは持っていて、その指標となる接続詞なり、表現については特に注意をしたいところ。

 

その昔、現代文の先生が「極端に言うと“しかし”の後だけ読めば*1理解できるよ」みたいなことを仰っていたのを思い出します。改めて考えてみてその通りかもな、と。

 

A しかし B という構造

A、Bの箇所にはそれぞれ何が来るか?

論説文において、大抵Aでは既存の情報、既知の情報が提供される。著者の見立てが示される。ある事柄があり、そのように一般的には見なされているが「しかし」著者の主張はBである、という構造を多くは有している。

そもそものところでなぜテキストは書かれるのか? 

それは著者に「言いたいこと」があるからだと言えます。当然かもしれません。

  • 新たな見解を世に届けたい
  • 従来の主張や通念を覆す論を展開したい

そういう動因があるから書く、と。言いたいこと「B」を説明するために「A」という現状や常識や通念、通説を書き並べる。「私が言いたいBは、Aとは違うのですよ」と説明する。

 

文章の論理構造
  • 母国語である日本語
  • 義務教育でもある英語
  • 今取り組んでいるドイツ語

この三ヶ国語にしか携わっていない狭小な観測範囲で申しています。

上記のような一般構造を逸脱する傾向にある言語、こういった構成を持つことのない言語があるのかもしれないな、とロマンに浸りつつ筆を置きます。

 

 

 

*1:論説的文章は