ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

今日のドイツ語学習 29.9.2018 月曜が待ち遠しいのは

DW の langsam gesprochene Nachrichten を聴く

主には

  • トルコのエルドアン、ベルリンにて会談
  • 米国のカバノー氏、強気
  • イタリア財政、2019年も未だ多額の債務
  • オランダ警察、テロ攻撃を挫く*1
  • 二国間の問題解決のための機会がない*2
  • ストライキによりライアンエアー欠航、ヨーロッパの6ヶ国にて

このようなニュースがあった。

 

読める/読めないの境界線

年の功、というのは確かで、例えば20年前の自分と比較して知識の総量*3は高まっていると言える。まあ忘却していくものも多そうだが。

そういう総合的な知識や雑学的なあれこれが読むということの原動力なのかなと、ドイツ語を読んでいて実感する。ドイツ語の力ももちろん要するのだが。何も私は知識が豊富ですということを言いたいわけではなくて、どんな人でも年月を重ねると物事の捉え方が拡がっていくものなのかなという感覚を得ているのである。

生涯学習という言葉がいつからか聞こえるようになった。雪だるま式に知識は増えていくものだとするならば、何かを学び続けるというのは凄くスリリングなワクワクする営為なのかもしれない。

 

再三このブログで繰り返しているが、勉強であるとか、何か新しいことを取り込むことは本質的に喜びなのだと思い至る。強いられた勉強はさておき、自ら追いかけるような行為としての学習は格別なのである。

自分が織り成してきた全てが、異国の地で使われている言葉を読み解くための足がかりになっているのだなと実感する。

 

月曜が待ち遠しいのは

まいにちドイツ語の新シリーズが始まるから。テキストを眺めて思いを馳せる。

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*1:7人の容疑者を捉えた

*2:イスラエルパレスチナ

*3:まさにノンジャンルでどうでもいいことも多い