ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

100パーセント宇宙

ドイツ語を自分なりに学びはじめてはや丸4年が経過しています。その中での思い、気づきについて。

 

理解度というのがあるのと同様に、非理解度、つまり「分からなさ」というのもあるのではないかと感じます。分からない様態にも程度や尺度があるのではないか。

分かる・分からないを巡って以下、色々とシミュレーションしてみます。

 

  • ちょっとだけ分かる、つまり9割以上分からない
  • 半分くらい分かっていて、残りの半分くらい分からない
  • 全部で「A」「B」「C」の要素があり(←このことは分かっている)、そのAとBについては分かっているが、Cについては分かっていない
  • 全く分からない
  • 何が分からないかすらも分からない
  • 分からないという意識すら皆無

 

分からないことに対しても様々な様態があると分かります。

 

  • 100%分かっている

と思っていたが、実は「それ」が100%ではなく、ある要素の1部分でしかなかった。分母がふとした時に拡大することがあるのです。


例えば、宇宙を100%、理解したとしましょう。

その時、宇宙の外側に宇宙ではない「何か」があることに気づいてしまうとしましょう。

その場合、

  • 宇宙のここまでは分かった
  • しかしここからはまだ明らかになっていない

という推論が得られます。

 

何を自分が分かっていて、逆に何を知らないか、ということも知っているほうが理想的なのかなという思いです。

「知のマップ」を求めます。