問われて始めて気づくこと
ドイツ語学習に限らない話をします。
学生時代の勉強における問題にせよ、人との会話にせよ、仕事上のやりとりにせよ、自分に色々な問いかけがなされます。
自分の知っていること、自分の持ち得ている知識・情報について色々な訊かれ方があり、それに応じて的確に回答していくことになります。
ある一つの物事について、問われ方が変わるとそれに準じて答え方も変わると気づきます。答え方が変わるだけで答えている中身そのものはほとんど変わっていないのですが、表現の形式や在り方は変わる。その「答え方」については「問われないと身に付かない」という感触を今のところ持っています。
例えば、リンゴ(林檎)について。その色を問われたらどうしますか?
- 「赤です。赤色です」と言葉で示せばとりあえずの回答になりそうです。ただしどんな色味の赤なのかなど、より詳しい説明が要求されるなら、それを答えるだけの言語表現力、語彙力が問われます。
- 数値化して表すように言われたら? 言葉での説明・回答は無意味であり、科学的、工業的に「測色」をする必要が出てくるかもしれません。
どんなカタチですか? と形状を問われたらどうしましょうか?
- 「まあまあ丸い、球体です。丸いですが完全な球体ではなくて … …」意外と言葉だけで答えるのは難しいかもしれません。
- 画力があるなら絵を描いて示すことも出来るでしょう。ちょっと時間はかかるかも。
- 写真を撮れるなら撮って、その画像や写真を見せればいいでしょう。
※そもそものところで、リンゴの「実」なのか「木」なのか、その両方なのか、問いを適切に捉えなければならないですね。電信柱のような円筒形があったとして、真横から見れば長方形でしかなく、真上から見ればそれは円になります。どちらも同じ電信柱ですが、答えが変わってきてしまう。そういうことです。
そんなことをドイツ語の問題集に取り組んで思ったりしています。答え方のバリエーションを増やしたい。結局何を知りたいのか? 我々は何を問われているのか? そんなことをちょっと考えたりします。
よく言われることかもしれませんが、知識の有無ではなくて*1、知識の及ばないことについて、
- いかに思考し
- 類推し
- 判断するのか
ということが問われている。どうしようもない課題について、今ある材料を駆使してもっとも妥当な答えを出す。
問いに答えるというのはそういうことなのかな、と。
さて、今年の冬の独検は12月2日。先日我が家にも受験票が届きました。いよいよ直前という感じです。さあ残り15日で何をしようか!?
*1:まあそれも求められているのでしょうが、本質はそこではなくて