『まいにちドイツ語』を聴いて/dabei
今日も引用から。「役に立つ表現練習」の箇所。
Die Kobe-Reise hat wohl viel Spaß gemacht.Dabei waren Sie doch schon so oft dort.
(神戸旅行、とても楽しかったみたいね。神戸へはもう何度も行ったことがあるでしょうに/あるにもかかわらず)
あくまでdabei は副詞ですが、このように接続詞的な(obwohlのような)意味合いで使われています。あくまで副詞なので、語順としては、1つ目とカウントするので、Dabei waren … と動詞が次に来る。
今日はもう一つ、個人的に面白いと思った箇所に触れておきます。
Aber Sie finden doch sonst immer irgendein Haar in der Suppe …
(でもあなたはいつも何かしら小さなことでケチをつけるでしょ)
直訳するとスープの中に1本の髪の毛を見つける、となります。
- ein Haar in der Suppe finden 粗探しをする
こういう慣用句があるんですね。
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『まいにちドイツ語』を聴いて/「電話する」ことの両義性/Rという魔物
今日も引用から入ります。
Ich habe heute Vormittag meinen Chef angerufen.
(私は今日の午前中、上司に電話しました)
電話をする、の2単語
- anrufen
- telefonieren
この2つがあります。それぞれ区別しておきましょう。
前者のanrufen は電話を「かける」という行為を指す動詞で、
後者のtelefonieren は電話で「話をする」ことを意味します。
よって、anrufen したけど、telefonieren していない/できなかった、ということもあり得ると。
語の成り立ちを見ていくと、an + rufen ということで「何か一点に対して叫ぶ/叫びかける」そんなイメージを抱きます。それが転じて、「電話をかける」になったということだと理解します。*1
Rの発音について
日本人がとかく苦手なこのRとLの発音および聴き取りの問題。
私もまだまだひよっこですが、ドイツ語の場合はRがかなり大袈裟な感じがしていて、英語よりも分かり易いと思えています。ドイツ語に着手しはじめたころ、このRがまるで「G」のように聞こえるんですよね。ただ、それもそのはずで、うがいをする時のように喉を鳴らして音を出すのが「R」だと知り、少し納得しました。カタカナ的に表現するとうがいは「ガラガラ(garagara)」と表現します。その時の音。*2
Rがこんな感じで特徴的なので、Lは「じゃないほう」として捉えています。
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『まいにちドイツ語』を聴いて/使うとは何か?
今日の引用はここにしましょう。
Wann haben Sie es heute benutzt?
(きょうはいつ、それを使ったのですか?)
使うとは何か?
このbenutzen 「使う」が気になります。独独辞典を引きます。
etwas für einen bestimmten Zweck nehmen
「何かをある定まった目的のために取る(使う)こと」
うんうん。ある目的を果たすために、というのが肝なのかも知れない。しかしながら、使うと訳せるドイツ語の動詞が他にもあったような。
ということで和独辞典を当たります。
この2つもあります。
日本語ではどれも「使う」と表現できるのかも知れませんが、その行為や行為を巡る原因、動機、目的、手段、意図、結果などによって使い分けられるのだろうな、と予感しています。
『まいにちドイツ語』を聴いて/持つ、とは何か?
今日もテキストから引用します。愛を込めて。ちなみに今日は三文のみ。「ダン」が二文喋り、「シュミットさん」が一文で答えたシーン。
Sie haben aber die ganze Zeit mich gefragt.
(だけど、あなた*1がずっと私に質問なさっていたものですから)
この「なさっていたものですから」はまさにニュアンスや文脈を活かした訳し方ですね。そういうものを度外視すると「質問していました」というシンプルなものになりそう。
現在完了形(ドイツ語版)
英語と違い、会話の中で「少し過去」のことを表す時には現在完了形を使うんですよね。過去形はちゃんとあるのですが、本当の意味の過去というか、現実とは切り離された過去、歴史や物語上の出来事を表す時にまさに「過去形」が使われる、ようです。*2
持つ(haben)とは何か?
英語ならhave。現在完了形の構成要素でもあるこの基礎中の基礎中の基礎動詞が気になります。独独辞典を覗いてみよう。
jemand besitzt etwas als Eigentum
- だれかが何かを所有物として所有する(備えている)
こんな感じでしょうか。
お、なるほど、お、そうきたか。まあそうなるよね、という感じ。Eigentum (自分自身のもの=所有物)という語が使われています。
habenの独独辞典の箇所を眺めてみて驚くのは上の意味を含めて、見出し項目だけで、45個もあるということ! それだけ用途が広いということでしょうか。
人が何かを言い表すことは「これは自分のものである」ということ*3を主張するケースが凄く多いということの証左なのではないか、そして言葉の誕生によって人は争いごとを回避してきたのか*4、ことばは戦争を減らしたか、その逆なのかなどと思いを馳せたりしています。
ドイツ語学習がもたらすドイツ語能力以外の何か
このような本を手にすることになりました。
『はじめてのラテン語』
端的に言って、非常に面白いです。この本の購入経緯を見てみます。
- 先日スポットで受講してみたドイツ語講座の日本人講師に「ラテン語を(少しでもいいから)学んでみるといいよ」と言われていたこと
- ラテン語がヨーロッパの言語の古語のようなものだという浅い知識はあり、元々、語源好きな私にとっては興味があったこと
そんなところです。
哲学に多少興味があり、その流れで今ドイツ語を独学しています、と先生に伝えたこともラテン語を薦める要素の一つだったかと思います。哲学ならラテン語でしょ?、みたいな。
何かを知ると他の知らない何かに手が伸びる
こういうことはよくあることで、見えない何かの存在を感じずにはいられなくなります。自分の小ささを知る。それは劣等感ではなく、むしろ周囲への感謝に繋がります。
仕事上、色々な専門家の方々とお会いする機会があるのですが、一流の人の中には極めて謙虚な人が多いんですよね。高い地位にいても決して奢らない。
覚えにくい表現、単語をどのように覚えこませるか問題
この問題が自分の心の奥底にずっと伏流しています。
ドイツ語に限らないことですが、何らかの言語習得において、記憶に定着しにくい表現や単語、あるいは文法事項がつきものですね。その時に私たちはどうすればよいのか? いくつかの選択肢を列記します。*1
- とにかく反復する:何度も見る、聴く、書く、話す。忘れたらまたそれを繰り返す。根気が要る。それを維持するだけのモチベーションや興味が必要なのかも。
- 書き殴る:幼き頃の漢字書き取りを思い出そう。そうやって私たちは漢字を憶えてきました。
- 声に出す:学ぶ場所が、パブリックな場所だったり物音を立ててはいけないスペースだったりすることは往々にしてあります。そうなると、これが出来ない。それはそれで1つの手法だが、特に語学ならば音を使っていきたい。口を動かすことになるし、それと同時にその自分の声を自分の耳で聴くことにもなります。
- 誰かに教えてもらう:自分では無い別の誰かが言ったこと。伝えてくれた内容。声のトーンで、大きさの大小で、時に情熱で。それならば記憶に残るということはありそう。
- 自分で自分に教える:これはおそらく勉強が得意な人はやっているような気がするんですよね。自学というのはつまりこれのことを指すのかも。
- その言語を母語にしている人と知り合う:その気になればインターネットの力を使って実現できるかも。その具体的な人と意思疎通したい、せねばならないという意識付けをもたらす。
実はこの問題には続きがあって、インプットしてもアウトプットできない問題や現実世界で使えない問題などが横たわっています。
これについてはまた別途考えます。
勉強の技術 すべての努力を成果に変える科学的学習の極意 (サイエンス・アイ新書)
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*1:実現性、可能性は度外視します
『まいにちドイツ語』を聴いて/alles andere als
引用します。今日は琵琶湖(Biwa-See)についての「雑誌記事」です。
Entlang des ostufers liegen einige Städte, die in der Geschichte Japans alles andere als unbedeutend waren.
(東岸に沿ってあるいくつかの町は、日本の歴史において意味がないどころではなかった。)
- alles andere als 「〜どころではない」
直訳は「〜以外の全てのもの」ってことだと思うのですが、つまりこれは強い否定の表現ですね。
独独辞典によると、のコーナー
ドイツ語の音楽やラジオニュースを聴いていて、気になる言葉を独独辞典で味わってみるコーナー*1。今日は、wahrsinn 男性名詞を見てみます。
etwas, das völlig unsinnig, unvernünftig od. unverständlich ist
私の解釈*2としては「完全に意味が無く、理性的でなく、あるいは、理解しがたいこと」。
日本語では「狂気」となります。英語だと madness かな。恐ろしい。しかしながら、正気と狂気の境というのはどこにあるのでしょうか?
さて、以前のまいにちドイツ語で講師が「ドイツ人はvernünftig であることを重んじる」、というようなことを仰っていました。賢くて良いこと、つまり理性的。余計なことや無駄なことをしたくない、ということらしいです。ドイツへ行ったことはありませんし、ドイツ人の知人を知りませんが、いつかきっとダイレクトに体感してみたいところです。