ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

学びにまつわる近況:2019年5月初頭

ドイツ語を自らのペースで学ぶ。

このことを継続することにより、以下の2つのことに意識が向くようになっています。

 

  1. 自己管理そのもの
  2. 記録すること: ノートやメモとの接し方

 

1.について

ドイツ語なり、その他の何らかの学問や分野、領域であっても同じかもしれませんが、学ぶ主体としての自分自身が適切に有ることが非常に重要だと気づきます。

ツールとしては「Googleカレンダー」と「Todoist – 最高の ToDo リスト&タスク管理アプリ」に助けられています。後者は課金*1をし、日々愛用しています。これが面白い、楽しい!

最近は体重管理にも着手しています。

何も考えずにいると確実に太ることが分かりましたので、日々

  • 食(何をいつ食べたか)
  • 体重・体脂肪・除脂肪体重

を記録しています*2

自己管理というと堅苦しいのですが、まあゲーム感覚でやっていこうと思います。

また自己管理を自己管理として意識せずに行っている人もいるように感じます。生き方や習慣として既に体得している人。それが当たり前の人々。

 

2.について

  • 忘れたくないことを書く
  • 忘れることを前提にメモする
  • 学び取ろうとすることを書く

そういうことが一般的かもしれません。

 

気づくのは、それ以外のノートの力です。

ノート(とペン)を常に所有していることより、何らかのアイデアを常時捕まえるモードになれている

ということです。また

ノートという余白が、何らかのアイデアを生む余地になる

というのもよく感じるところです。

これはノートにしか無い力ではないでしょうか?

パソコン、スマホなどのデジタル機器でいくらでもメモは可能なのですが、それとは違う。物理的な効果があると思い至ります。

*1:サブスクリプション

*2:まだ半月くらい