ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

それでも私が紙のノートとペンを使う4つの理由

ドイツ語の学習にせよ、それ以外の学習にせよ、または何らかのアイデア出しにせよ、紙とペンを使うことがあります*1。公私ともに。ノートパソコンを使ってもいいし、スマートフォンを使ってもいい。そんな環境の中でも紙のノートは無くなりませんし、それらに価値があると思って日々持ち歩いています。

何故なのでしょうか? 4つ挙げてみます。

 

  1. 文字を書く行為そのものの喜び
  2. ノイズからの遮断が容易
  3. 物理現象として
  4. 自由度と直感性

 

 

1. 文字を書く行為そのものの喜びについて

自分の筆圧で、自分の筆跡で、紙にインクを置いていく。あるいは鉛筆なら芯の炭素を擦らせていく。この営為そのものがかけがえないのです。代替不可能。

時折万年筆も使ったりします。これもまた面白い。一般的なボールペンとの比較で、便利・不便という尺度を超えた面白さがあることに気づきます。

 

2. ノイズからの遮断が容易

通信可能な電子機器、例えばスマートフォンやパソコンの場合を想定します。

  • メール、コミュニケーションツール、SNSなどの受信や通知
  • 各種アプリケーションからの連絡、宣伝、通知*2
  • 自分の欲求として他のアプリやツールに時間を費やしてしまう*3

こういうことが、起こらない(起こりにくい)のが「紙」と「ノート」の評価すべき所だと思います。

職場でメールを書く(打つ)のは当然パソコンです。ただその前段階で色々と検討が必要な場合には、裏紙やノートに何か(図の混じったメモ)が書き出されることがあります。

 

3. 物理現象として

これは1.に近い話です。

インクが減っていく感覚。鉛筆が縮んでいく感覚。もし消しゴムを使うのなら、それも磨り減っていきます。もちろん紙そのものも劣化したり、ダメージを受けます。

この減耗していく感覚を味わえるのが楽しいのです。理屈はよくわかりません。

考えだすと、それだけでブログ記事がいくつか書けそうなので止めておいて、後回しにします。

 

4. 自由度と直感性

テキスト作成ツールにおいてカーソルの所から右へ順に言葉を置いていく行為です。基本的に右から左へという動きはできませんし、急に縦方向へ書くこともできません。特定の文字を丸で囲む、アンダーラインを引く、カラーマーカーで色付けするというのは、ある特定の状況なら可能かもしれません。MicrosoftのWordやPowerPoint。そういうツール・機能が、必要になってしまう。

それらのことを紙の上ならば自分の手で直感的に実現できます。文字以外の線や曲線や図形を書いてもいい。もちろん最近はペンタブレットなどのような道具も登場しアナログに近い体験をもたらしてくれます。しかしどうでしょう? デジタルが越えられない何かは少なくないと思います。

 

次の課題が見えてきました。

  • ちゃんと「ノートを開いて書く」行為のための時間を十分に確保していくためには

です。特にドイツ語学習の観点で。

*1:多用するほうだと思います

*2:通知を切っておく、というアイデアも然りですが、必要な時には必要です。そしてそれよりも常に何らかの連絡が来ているのだろうなという「可能性」を抱え続けることになります。これも見えないノイズと言えないでしょうか?

*3:テクノロジーが発達し、一つの機器に色々なツールや機能を搭載することが可能になりました。それがスマート「賢い」ということなのでしょうか。しかし、これらの誘惑というか罠というべきか、本来の目的とは別の何かが自分を支配する局面もあると見ています。自身の集中力不足や自制心の無さとの兼ね合いも事実ですね。元から断つほうがよいという考え方。