ゲームと語学の面白さ、その交差点
日曜日はいつものニュースが更新されませんので、自分なりの気づきや思いつきを記録することにします。
今はドイツ語の独学に割と夢中になっていますが、以前*1はゲーム*2に多くの時間を費やしていました。そのゲームの時間がドイツ語学習の時間へといつからか移行していきました。
語学学習及び語学以外の学びも、ゲームも、両方とも楽しいものです。このあたりのからくりを見ていくことにします。
それぞれの面白さについて
- 語学を含んだ学習:自分自身が変容していく感覚が面白い。自分自身の「レベル上げ」。現実というフィールドにおける自由の獲得。反面、モンスターを魔法でなぎ倒すような空想科学的な派手な喜びは無い。語学は言わば、現実を別言語で認識する術を獲得していくゲーム。
- ゲーム:ゲームの中の自分の成長。ゲームの中の技能の向上によるやりがい、喜び、楽しみ。「倒せなかった敵を倒せる」「使えなかった魔法が使える」「行けなかった場所へ行ける」そういうこと全般に関わるフィクションとしての面白さがある。
ゲームは電源を切ると、その世界もろとも消えてしまいます。もちろんその体験や経験を経て得たものや気づいたことはあると思います。「それ」をやったことのある者にしか持ちえない情報や感覚、体験というのもありそうです。昨今は現実の世界と連動するゲームもあります*3。しかし、その電子的な閉じられた世界は現実とは違う。
- 娯楽として非常に面白いゲーム*5
- 現実における学び
遊びと学びは対立概念とされることも多いのですが、実は共通点も少なからずありそうです。
この辺り、関心が向いたらまた筆を進めることにします。