ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

賢さと合理性

ドイツ語を独学していく中で、そのことを通して思うところを書き留めておきます*1。いつも通り主観にまみれた文章です。ご笑覧ください。

 

賢さと合理性

この2つの軸があるとします。双方とも「知」の翼には違いないとは思いますが、それぞれ特色がありそうです。

 

賢さとは何でしょうか?

私が考えるのは、ある事物の本質を掴もうとする力やその程度のことだと思います。

  • 工学よりも理学というか
  • 現実よりも理想というか
  • 実学よりも美学というか

そういうイメージです。

 

合理性とは何でしょうか?

私の解は、賢さとは無関係に、物事を効率よく運ぶこと、こなすこと、となります。

  • 本質はさておき、まずは現象にフォーカスする
  • 内実よりも結果ありき
  • 手段よりも目的
  • マリーシア的な*2

そういうイメージです。狡猾さ。

 

一例として学生時代のペーパーテストを考えてみます。日本の試験において点数を獲得するには、合理性が要求されます。多少は賢さが求められるかもしれませんが、合理性が優位。

仕事を例にしましょうか。

結果にフォーカスするなら賢さはさておき、合理的であることが求められる。

 

4パターン

  1. 賢くて合理的
  2. 賢くなくて合理的
  3. 賢いが非合理的
  4. 賢くなくて非合理的

 

自分はどれに該当するでしょうか?

賢い/賢くないはさておき、知にのめり込み過ぎるあまり、合理性*3を欠くことがあります。ドイツ語学習にせよ、仕事にせよその傾向があると分かります。形式美とか、自分なりの理念や価値観を大切にするあまり、結果をおざなりにしてしまうケースがあると気づきます。

「それでよい」そういう考え方もなくはないでしょうが、それなりに結果を求めるのなら、ここでいう「合理性」に配慮したほうがよいなという思いです。

*1:今日は日曜。いつものニュースは更新されませんので

*2:いやマリーシアは合理的とは違うかな?

*3:効率