ドイツ語が「読める」ようになると何が起こるか
ドイツ語を独学し始めてから1527日が経過しました。365で割ると4.18... 4年以上が経ちました。
「読む」にも程度がありそうですが、おおよそ何が書いてあるかわかる*1、ようになると何が起こるのかについて自分の浅学な経験も交えて列記してみます。
- 自然とドイツの動向に目が行く
- ドイツ語経由の情報や知識に手が届く
- 英語を別の観点から捉えることができるため、理解が進む
- 日本語訳されたドイツ語の本の理解が進む
1と2について。無論ですが、私たち日本人の多くは日本語かあるいは英語で書かれたウェブサイトなら読むことが可能です。ドイツ語を学ぶとドイツ語のサイトがそこに加わります。
日々私がお世話になっているニュースサイトも然り。そこでは、あるいは、日本メディアが取り上げない*2報道がされていることもしばしばです。日々*3のトップニュースが扱われていますがそれらはドイツの視点であり、日本の観点とは明らかに違う。
- 視界を拡げる
- 視点を変える
そういうことがありえると思えます。
3について。英語が言語の覇権を握っていることは否み難い事実です。英語も学習したいものの一つとして挙げられます。
一度義務教育から一通り学んだ英語。それをドイツ語の知識を持った今学ぶと色々な気づきがあります。
- 語感が鋭くなる
- 文法、語法の在り方に対して合理的な理解ができる*4
4について。これこそ当初私が望んだものの一つです*5。究極はドイツ語の原著を紐解いていければいいのですが、日本人による解説書をよく読みましたし、今も読みます。その中でたいていドイツ語そのものについての解説が入ります。つまりドイツ語の知識がそのテクストの根本理解には不可欠だということになりはしないでしょうか?
ドイツ語を日本語に訳す際に「どうしても超えられない何か」、ニュアンス、機微がある。それも含めて知りたいと願うなら、訳ではなく原語でそのまま読みたい。そういう思いによります。