ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

今日のドイツ語学習 10.9.2018

『まいにちドイツ語』を聴く

引用をしてみよう。

Der ist ganz anders als Rotwein aus Frankraich.

 「これはフランスの赤ワインとは全然違います」

以前も触れたことだが、物事を明らかにしようとする場合に、何かと比較して相対的に示すというのはよくやることである。分かるというのは「分ける」ことだとよく聞く。分ける、という行為はたいてい「似ていて混同しやすいから」分けるのであって、一目瞭然な事物については、そもそも分かる・分からないの議論にはなりにくい。

上の例ではワイン(赤ワイン)という同じ飲み物の「生産地による違い」を表している。

物事を理解する際に、あるいは、自分が説明する際にちょっと意識してみたい。

 

土曜日のDW langsam gesprochene Nachrichten を聴く、読む

毎週日曜日分は休みなので、土曜日のものを再確認してみる。見出しだけ抽出し、俯瞰してみよう。

  • Druck auf Maaßen nimmt zu 「マーセン氏への圧力増す」
  • Bericht über antisemitischen Angriff in Chemnitz 「ケムニッツでの反セム系人種の攻撃についての報道*1
  • Obama greift Trump an 「オバマ、トランプを非難する」
  • Ex-Trump-Berater zu 14-tägiger Haftstrafe verurteilt 「元トランプの助言者、14日間の拘留判決」
  • Alibaba-Gründer Jack Ma kündigt Rückzug an 「アリババの創設者、ジャック・マー、引退を表明」

少なくともこれが、先週土曜日(つまり金曜日に発生したニュース)にドイツのあるメディアが取り上げた主要なニュースということになる。

 

何が学習なのか

ドイツ語に限らない話をする。

私たちはつい、読んだり・書いたりといった行為を学習だと見なしている。その通りだとも思う。しかし、それらを伴わない学習というのもあるかもしれないと思ったりもする。

何らかの勉強をしていく中で、何らかの疑問や「引っ掛かり」が頭の中にたまってくる(意識的にでも無意識的にでも)。それを抱えてながら日々を生きていく。するといつの間にかその引っ掛かりの解や解法が手に入ることがある。これはつまり、常に何らかのセンサーが頭の中で作動している状況なのではないか、そんな緩い仮説が浮かぶ。

疑問や問いを常に頭のどこかに置いておく、ということも一つの学習なのかもしれない。そしてそれは、読み書きとは別のところに存在しているように思われる。

*1:セム系について少し調べました。有色人種ですね。文脈上移民のことを指すのですね