ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

今日のドイツ語学習 25.8.2018

DWのlangsam gesprochene Nachrichten を聴く

日々違うニュースが報じられている。昨日とも、そして、明日とも違う記事が繰り出される。今、この瞬間にも世界のどこかで記事になり得る「何か新しいこと」が発生していることになる。

毎日違う内容を扱っているにも関わらず、そこにはドイツ語としての*1パターンが存在していると分かる。きっとそうだろうという予想はしていたが、それが徐々に見えてきて、多少は足がかりを見出せた「ように思う」。*2かつてはツルツルの急な斜面だったのだが、ようやく足場が見えてきたという感じか。

 

『ドイツ語で世界を読み解く』と準1級対策本に取り組む、その時

最近はこの2冊にお世話になっているわけだが、解説の欄で同じ助言を受けた。

  • 日本語でいいので新聞を読もう

平たく言うとこういう趣旨である。

このことは上記のDWのラジオを聴いていて自ら痛感したこと。重要度高し。これは素直に実践するとしよう。

ドイツ語を学ぶことから派生して、新聞を読むことになるというのもまた乙なこと。

知の地盤を固めよ、というアラームが鳴っている。

 

問題を解く中で

熟語を問う設問の正答率が極めて悪い日だった。*3

まだまだ決まり文句の「暗記」が必要だということだろう。記憶力がそんなによいわけではないことは40年近く生きてきて実感している。しつこく取り組むなり、工夫をするなりしてみることにする。

*1:あるいはメディアとしての

*2:断言するにはまだ早い!?

*3:今日だけならいいのだが、そういうことではなさそうです