ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

今日のドイツ語学習 23.8.2018.

『まいにちドイツ語』を聴く

木曜日は応用編の対話形式。舞台は札幌。*1

「私の知る範囲内では」
  • soweit ich weiß,

これが取り上げられていた。

そもそも、ものを述べるということは、その主体の知的、経験的な範囲内の言説になる。どんな人でもそのことは知覚していて*2、そして受け手もそれを了解している。

そんな前提がある中でも、この表現はある。慎重であり、厳密。科学的でもあり、謙虚かもしれない。

 

DWの langsam gesprochene Nachrichten を聴く

毎日聴いているこれが通常の読む速度ではないことを認識しておきたい。いつかノーマルスピードに慣らしていきたいところだが、その切り替えタイミングをどうするか?

 

『ドイツ語で世界を読み解く』

この参考書がやはり面白い。ドイツ語が徐々に分かってきて、視界が開けてくる。そういう純然たる学の面白さはもちろんだが、それに加えて、メディアドイツ語を読むことの「本質」に迫る感じが興味深い。

例えば、書き手の批判精神や批評精神。ドイツでは英語や外来語まじりのドイツ語というのが増えてきているらしい。*3

  • studieren はstudy由来で「(大学で)学ぶ、研究する」
  • shoppen はshop由来で「買い物をする」
  • recherchieren はフランス語のrechercher (英語のresearch )由来で「調べ物をする」

などなど。

言葉の乱れというネガティブな意味もあるし、新しいものをそのまま取り込んでいくというポジティブな見方もあるだろう。前者の側に立つある書き手が、あるエッセーでこれらの言葉を敢えて使うことによりこの現象を皮肉的に批判している、という指摘があった。読むことを読む。その行間までも浮かび上がらせてくれる。本書と著者のファンになる。

*1:私事だが北海道へ足を踏み入れたことが無い。一度は行きたい北海道

*2:時折そうではない人もいますけれど

*3:若者を中心に? 想像です