ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

今日のドイツ語学習 18.8.2018

Dw のlangsam gesprochene Nachrichten を聴く

いつものようにこのサイトを開く。クリックすべき音源の箇所には、その日のニュースにまつわる画像が添えられている。これが「第1ヒント」になっている。今日は1人の黒人女性が映されていた。

「伝説的ソウルシンガー、アレサ・フランクリンが亡くなった。家族の報によると、“ソウルの女王”はデトロイトの自宅で76年の人生を終えた。」*1

正確な訳ではなさそうだが読み取れたことをメモしておく。「膵臓がんを以前から患っていて、かなり病状は進行していた」、「多くのアーティストならびにトランプ大統領、その前任者オバマ氏も彼女の訃報に狼狽した」

米国ではもちろんのこと、日本でもドイツメディアでも報じられていることから、この方の偉大さか感じられる。

 

最近の学習スタイル

特に以下の2点を意識している。

  1. 本や参考書には遠慮なく書き込む
  2. 頭の中にヴィジョンを描く

1.について。

お金を出して買った本や参考書の類を大切にする意識から、書き込んだりアンダーラインを引いたり蛍光ペンでマークすることを敬遠する傾向がかつてはあった。今はそれをやめている。売却を考えるのもやめた。

何が最も重要か? それに立ち返って考えると、その書物を汚さずにありのままに保っておくことではなく、自らにその英知を取り込むことが肝要だと気づく。そのための行為として、1. が有効だと肌で感じるようになったので、実践しているし、これからもそうしていく。*2

 

2.について。

学習において、書くという行為は非常に有効だと思う。ただし、現象として、ある紙に「インクや黒鉛で線の連なりを作ること」そのものにはあまり意味がないと言えはしないか。その過程こそが大切だと言えはしないか。

書き取ることにより、その文字列を頭の中に書き入れるというのは確かに成立すると思う。それが、記憶だというのは正しいと言える。しかし本質は別のところにあるように最近は感じる。文字を書くことを通して、それと同時に頭の中に、絵を描いているのである。よく言われていることだが、人は文字や数字よりも「絵」のほうが、記憶しやすいらしい。右脳を使うべきだと。そのことを上手く活用していけたらと思う。

思い浮かべた絵そのものや、絵まで行かずとも図のようなものを描き出すことがある。これをするとぐっと理解が深まる気がする。

 

具体例

ドイツ語の成句、慣用表現で

  • ein alter Hase sein 

というのがある。コトバの通りに訳すと「年老いたウサギである」。「熟知している」という意味だそうである。

この表現に出くわしたときに、日本語ではなくまず絵が浮かび、メタファー的に意味を理解できるようにしておきたいのである。

 

語学以外の領域(例えば自然科学、理工系など)においては、また違ったアプローチの学習スタイル・方策があるのかもしれない。

*1:ご冥福をお祈りします。

*2:もちろん、図書館などで借りた本へはこういうことはできない。所有者だけの特権なのである。本当に愛すべき本に出会ったら、まっさらのままの保存用としてもう一冊買ったっていい