ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

新章突入(独検対策編)

新章突入

毎日、平日はNHKラジオ『まいにちドイツ語』を題材に記事を展開していくスタイルのこのブログでした。しかし本日から独検対策に特化した内容を扱います*1。読者のほうを向けていない、素っ気ない内容になるかもしれません。自分以外の人間が読まないブログになるかもしれないことをある程度覚悟しておきます。ある男がドイツ語の試験についてどのようにもがき、時に苦しみ、時に笑いながら、立ち振る舞ったのか、というドキュメンタリーになろうかと思います*2。これが果たして読みものとして面白いかどうか?

 

そもそも文章を読むためには

独検*3において、長文読解問題が一つの鍵だと見ています。

日本語でもそうですが、あまり同一の言葉・表現を繰り返さないよう配慮されて書かれていることが大半です。例えば、文末がいつも「~だと思います」で終わるのはあまり良くないですよね。稚拙というか、それこそ語彙の貧困な、幼稚な印象を読み手に与えてしまいます。そういう文章を悪文と呼ぶのでしょう。

そうならないために、似たような概念を色々な表現で、あの手この手で書き表す、言い換えて説明する。それが文章なのだろうと感じる昨今です。

ここで必要になるのが豊かな語彙

言い方は見慣れない、または耳慣れないけれど、実は文中の「あのこと」を言っているということが日本語でも英語でもドイツ語でもかなり多いと気付きます。その時に必要になるのが語彙や表現の幅です。

ある概念をどのように表すかについて、そのバリエーションを増やすことがボキャブラリーの増強ということなのかもしれません。

こうとらえると、一見単調な、単語や熟語を覚えこんでいく行為が意義深くなってきませんか。言葉を知れば知る程、「絵が浮かんでくる」のですから。「見えなかったものが見えてくる」のですから。「パズルのピースが増えていく」のですから。

 

具体的には

語彙を増やそう、慣用表現をもっと憶えよう、とするとき、どうすればよいのでしょうか。

  • 単語集のようなものに取り組んで、書きなぐったり、しゃべったりして覚えこんでいく
  • 長文系の教材にあたりつつ、そこで出くわした表現を、書きなぐったり、しゃべったりして覚えこんでいく

この2つが今、頭の中にあります。

後者に主眼を置いてやっていけたらと思います。…が前者も方法として抱えておこうかなと思います。どちらかの方法に飽きたら、もう一方に取り組むスタンス。

 

 ↓この本が好きです。語源を示してくれているので、理解しやすい。右脳が活性化されるかのような感覚。

但し、例文はついていない。気になったら、辞書をあたることにしよう。

ドイツ単語5500

ドイツ単語5500

 

 

*1:『まいにちドイツ語』応用編は聴くと思いますが、入門編は準1級対策という観点で、どうだろうか。ただ習慣的に聴いている自分がいる

*2:大袈裟ですね

*3:私は準1級を想定