ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

読むことの本質:ドイツ語版『ノルウェイの森』にトライ

ノルウェイの森』のドイツ語訳版を入手しました。

Naokos Laecheln. Nur eine Liebesgeschichte

Naokos Laecheln. Nur eine Liebesgeschichte

 

様々な書籍やブログで紹介されている学習方法、

  • 学びたい言語の本(小説)を通読する

というのをやってみたかったのです。通して読むので、辞書は引かない。読めないけど読む。

同書の日本語版はかなり昔に読了しており、内容の細部は忘却の彼方ですが、あらすじや空気感は憶えています。

そこまでハルキストであるという自覚も他薦もありませんが、私は彼の書く文章に対して好意的です*1 。それが

  • ドイツ語になったらどうなるか?
  • その感触は日本語ゆえのものなのか? 

その観点でも読み進めてみます。

全400強あるページ数。現在は14ページ程。

  • 辞書を使わずにどこまで分かるのか
  • そして、どこがどの程度分からないのか

を検証してみます。この件については読後にまた書き記すことにしよう。

読むとは何か

さてあんまりドイツ語に関係ありませんが*2、読むという行為の意味を考えてみることにします。私としては2つの意味があるのだろうと見ています。

  1. 書かれた文章を理解、把握すること
  2. (書かれた文章であるか否かにかかわらず)ある対象を理解「しようとする」こと。特に自身の知識の及ばない領域や未知の部分に対して、現在得られた情報を基に予測、推察すること

こういうことでしょうか?*3 1.は文字通りの読解。2.は広い意味の「読み」。*4

2.の「解読行為」こそが醍醐味。推理小説なんかは内容そのものも2.的です。

 

*1:海辺のカフカもよかった。1Q84もよかった。色彩を持たない … … も

*2:それゆえに普遍性は相対的に上がる

*3:読む、について辞書を引かずに書いています

*4:日本語では空気を読むとも言いますね