今日のドイツ語学習 14.9.2018
DW の langsam gesprochene Nachrichten を聴く
9月13日は全部で5つのトピックス。およそどんな内容なのか見てみる。
- ドイツ、ケムニッツ : 移民問題
- エルサルバドル、サンサルバドル*1 : 汚職問題
- エチオピア、アディスアベバ、南スーダン : 政局。和平協定
- イスラエル : チェコ大使館、テルアビブからイェルサレムへ移転
- アメリカ: ハリケーン・フローレンス
上の5行を書き表すだけでも、辞書を引いたり、場合により対応する日本語ニュースを検索したり。
『まいにちドイツ語』を聴く
「日光」についての雑誌記事が読み上げられる。Langsam gesprochene Nachrichten (遅いスピードで読み上げられるニュース)との比較で、速く感じる。
三猿、見ざる言わざる聞かざる、はドイツでもよく知られているようだ。
10月号入手!
木曜と金曜でプログラムが違うらしい。楽しみだ!
今日のドイツ語学習 13.9.2018
DW の langsam gesprochene Nachrichten を聴く
あえて今日は先にテキストに目を通してから聴いてみた。普段とは逆。
分からない箇所は読んでも聴いても分からないと気づく。とは言え、分からない箇所の比率は確実に減ってきているのでよい傾向。
『まいにちドイツ語』を聴く
今日の学びを経ての気づきなど
- 肩書き
- 地位
そういうものには実は意味が無い。厳密にはあまり意味は無い。確かにそこに至る取り組みがあったことは確かだと言えるが、それだけのこと。これからその人はどうするのか? については別問題である。
思い出したある言葉を引いておこう。
Es spielt keine Rolle, woher du kommst. Alles was zählt ist, wohin du gehst.
「君がどこから来たかは重要では無い。全ては君がどこへ行くかで決まる。*1」
*1:これくらいの意味かな
今日のドイツ語学習 12.9.2018:「絵」の効用
『まいにちドイツ語』を聴く
2週に一度の復習回。
入門編とは言え、いよいよ終盤なので内容的には決してあなどれない。
基本ということ
私たちはしばしば、基本的な事項を簡単なもの、平易なものと誤解することがある。
基本的な事柄というのは基本的なだけであって、難易度の高低とは無関係なのである。
- 難解な基本事項もあるし
- ごく簡単な応用事項もある
応用的なことのほうが、難易度は別として
- 具象的だったり
- 現実的だったり
- 実用的だったり
して、面白いケースも多い。
難易度の高い基礎事項が大きな鍵なのかもしれない。
DW の langsam gesprochene Nachrichten を聴く
- 覚えにくい単語・フレーズ
- 何度も辞書を引かざるを得ない単語・フレーズ
というのがある。すんなり頭に入るものと、そうでないものが確実に存在する。
これらへの対処として、
- このまま、この「覚えて*1忘れて、覚える」、を繰り返す。繰り返していく中で強く記憶に残る。
- 何か別の施策に打って出る。
の二つのオプションがあるとする。その両方を試す、のも良さそう。
2.について、
ある単語やフレーズをGoogleで画像検索してみる
という手がある。
覚えられない理由の一つとして、「絵が浮かばない」というのがある。この方法だと、無数の画像が表示される。絵として覚えることが、「できる」。右脳を意識する。
*1:すぐ忘れるというレベルでは、そもそも覚えたことにはなっていないのかもしれないですね
今日のドイツ語学習 11.9.2018
Dw の langsam gesprochene Nachrichten を聴く
ドナルド・トランプ大統領の話題が日々絶えない。日本同様、ドイツでも米国の動向は重要度が高いということなのだろうか。
『まいにちドイツ語』を聴く
「きょうのキーセンテンス」が興味深い。
Man sieht, dass Wein immer auch zur Kultur gehört.
「ワインは常に文化の一部だということがわかります」
- man について
- dass による副文
- gehören zu + 3格 「〜の一部である」
ドイツ語の風味が強い文だと、個人的には考えている。
特にこの man について
Mann ではなく、ましてや Frau でもない。この man (人、だれか、世の人々)がドイツ語ではよく使われていると分かる。多くの人が「そうであると認めていること」に対する重み。日本人の言う「世間様」という言葉との連関・類似点・相違点・比較を想う。
dass について
これが出現するということは、「何か文章的な構造で説明が始まること」を意味する。
- 副文においては、動詞は文末
というルールは、日本語に近い。ここにも語学のロマンを感じる。
ルーティン
上の二つについては自分の習慣の中に浸透したと言える。これがどれだけの力を自分にもたらすのか?
これだけでは足りない、という不足感も抱えているが、その一方で日々の充実感も得られていることを見据えたい。
知れば知るほど、己の無知を知る。
今日のドイツ語学習 10.9.2018
『まいにちドイツ語』を聴く
引用をしてみよう。
Der ist ganz anders als Rotwein aus Frankraich.
「これはフランスの赤ワインとは全然違います」
以前も触れたことだが、物事を明らかにしようとする場合に、何かと比較して相対的に示すというのはよくやることである。分かるというのは「分ける」ことだとよく聞く。分ける、という行為はたいてい「似ていて混同しやすいから」分けるのであって、一目瞭然な事物については、そもそも分かる・分からないの議論にはなりにくい。
上の例ではワイン(赤ワイン)という同じ飲み物の「生産地による違い」を表している。
物事を理解する際に、あるいは、自分が説明する際にちょっと意識してみたい。
土曜日のDW langsam gesprochene Nachrichten を聴く、読む
毎週日曜日分は休みなので、土曜日のものを再確認してみる。見出しだけ抽出し、俯瞰してみよう。
- Druck auf Maaßen nimmt zu 「マーセン氏への圧力増す」
- Bericht über antisemitischen Angriff in Chemnitz 「ケムニッツでの反セム系人種の攻撃についての報道*1」
- Obama greift Trump an 「オバマ、トランプを非難する」
- Ex-Trump-Berater zu 14-tägiger Haftstrafe verurteilt 「元トランプの助言者、14日間の拘留判決」
- Alibaba-Gründer Jack Ma kündigt Rückzug an 「アリババの創設者、ジャック・マー、引退を表明」
少なくともこれが、先週土曜日(つまり金曜日に発生したニュース)にドイツのあるメディアが取り上げた主要なニュースということになる。
何が学習なのか
ドイツ語に限らない話をする。
私たちはつい、読んだり・書いたりといった行為を学習だと見なしている。その通りだとも思う。しかし、それらを伴わない学習というのもあるかもしれないと思ったりもする。
何らかの勉強をしていく中で、何らかの疑問や「引っ掛かり」が頭の中にたまってくる(意識的にでも無意識的にでも)。それを抱えてながら日々を生きていく。するといつの間にかその引っ掛かりの解や解法が手に入ることがある。これはつまり、常に何らかのセンサーが頭の中で作動している状況なのではないか、そんな緩い仮説が浮かぶ。
疑問や問いを常に頭のどこかに置いておく、ということも一つの学習なのかもしれない。そしてそれは、読み書きとは別のところに存在しているように思われる。
今日のドイツ語学習 9.9.2018
Dw の langsam gesprochene Nachrichten を聴く
日々これを聴いているが、それと同時にテクストも読んでいる。分からない箇所について辞書を引くなどして、読み解く。
ケムニッツの事件
「ケムニッツ」この単語・地名がよく聞こえてくる。しかし、不勉強にて、この土地で何が起こっているのか、把握しきれていない。
日本語の記事を見つけて周辺情報を補強。
「ケムニッツの暴動は独の近未来?」
ケムニッツの暴動は独の近未来? | オピニオンの「ビューポイント」
人口減少と移民受け入れの是非について
ドイツだけでなく、遅かれ早かれ日本の問題でもあり、対岸の火事ではない。
この国の未来を想う。そのときに他国の先例や、あるいは歴史を見るのはやはり有効なのかもしれない。
メタ計画
今週末は正直計画通りには学習が進まなかったと自覚。悲観や楽観ではなく、「客観して」進めていければ、と。
今日のドイツ語学習 8.9.2018
Dw の langsam gesprochene Nachrichten を聴く
日本でも海外でも為政者の汚職が目立つ。地域的傾向ではなく、時代的にそう感じる。民主主義的なプロセスで選出された代表者が悪事を働くというのは何だか制度的な無力感を覚える。しかし、だからこそ投票権は確実に行使していきたい。
- 民主主義の制度疲労だろうか?
- 資本主義の経年劣化だろうか?
諺・慣用句を学ぶ
これをやっていきたい。以下の2つある。
- 独検準1級で狙われやすい。
- 自分の興味の中心にある。
1.について。いわゆる諺はさておき、慣用表現や熟語は出題傾向を考えた場合に頻出すると言える。出るからやる。手薄な気がするのでやる。
2.について。
言語にはその話者たちの文化、教訓、歴史、習俗、環境適応の術といった無形の叡智が流れ込んでいる。実は日本語も然りなのだが、それは外国語を学ぶことで再帰的に実感できることがある。
この一連の喜びは、特に慣用句や諺に触れるときに得られるのである。